ゲオルクの日記

多分三日くらいで潰れる

『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』ネタバレ有り感想

まさか令和になってから平成ライダー一番の問題作が出てくるとは思わないだろ

ネタバレします

 

 

大体「賛否両論」なんて言われる作品は殆ど”否”に偏っているような場合が多いけれど、今作は本当に賛否どちらも観測できるように思う。それにはやはり主人公の死という結末が関わっているのだろう。

テレビ本編から10年経って主人公を死なせるということがどれだけ凄まじいことか。平成ライダー20作品のうち、主人公の死によって完結した作品は他に存在していない(『龍騎』だって世界の再構築によって真司は復活したわけだし)。オーズを見ていない人にも分かりやすいように説明すれば、ルルーシュが生き返ったと思ったら今度はスザクが死にました、並みの衝撃がある。

個人的な感情を言えばこういった結末は全く好きではないし、凡庸なハッピーエンドで終わる方がまだ好みではある(火野映司というキャラクターにとってこれがバッドエンドかハッピーエンドかは一考の余地があるとしても)。

しかし、好きではないにしろ、火野映司も人間なので死ぬときは死ぬ。「女の子の命を救えなかった」という映司の印象的なオリジンに絡めた展開は良かった。映司というキャラクターは目の前の命を救うために使えるものは何でも使うというイメージがあり、それが本編ではオーズドライバーであり、『ジオウ』では議員バッジだった。そういった印象から言って、もし使えるものが自分の命しかなかったら、映司は躊躇なくそれを使うだろう。そういう点では納得感はある。

ただ、キャラクターとして「そういう結末になりそう」ということと、実際にそれを視聴者が納得できるかは別問題で、自分はその展開に突き放されるような印象を受けた。感覚としては、現実で身内が死んだ時の感覚に近い。『仮面ライダーゴースト』では「人間はいつ死ぬか分からない」を一年通してテーマとして掲げたが、実際それを地で行くのは寧ろ本作である。

なぜこの映画に突き放されたのか。思うに、本作には「映司の死」という結末を描くまでの動線、視聴者に対する丁寧なアプローチというものが殆ど欠落している。「いつかの明日に手が届く!」という希望に満ち満ちたキャッチコピーであったり、本編の展開にしても、映司が死ぬという結末を実際には全く予感させないのだ。劇中でアンクは「泉信吾が助かったのだから、映司もきっと助かるはずだ」と希望を口にする。比奈も映司は助かると信じている。視聴者はそれに呼応して、寧ろ映司の復活を予感する。

第一、上にも述べた通り、「主人公の死」は「仮面ライダー」というシリーズにとって考えにくい事象である。特に平成二期の作品群は明るい作風が特徴で、『鎧武』などの例外を除けば、怪人と化した一般人の死でさえ意図的に描くのを避けてきた歴史がある。その作風を知っているからこそ、いくら本編でメインキャラが死に瀕していようと、「実際に死ぬ」可能性を我々は排除してしまう。(『フォーゼ』や『ドライブ』で最強フォームを手にする為に主人公が一度死んだことを想起してほしい)

つまり、実際に視聴者を納得させる形で火野映司を殺すのであれば、「まさか死なないだろう」という暗黙の了解をはるかに押さえつける形での丁寧な積み上げが不可欠だったのではないか。ただしそれを行わなかったことが意図的か否かは自分には判断できない。あえて突き放すような死を描きたかったのであれば、少なくともその点では成功している。

更に言えば、映司が死んでからエンディングに入る構成もそのことに一役買っている。これは例えば『エヴァ』旧劇場版のラストシーン、アスカの台詞から急に〈終劇〉と表示されるのに似ている。視聴者はその衝撃を咀嚼したり、他の登場人物と分かち合う時間を持てない。例えば『スターウォーズ/フォースの覚醒』でのハン・ソロの死や、あるいは『アベンジャーズ/エンドゲーム』でのトニー・スタークの死は、劇中の人物がその死を悼むシーンを描いた。火野映司の死には、その時間がない。ただ明日のパンツがはためいているだけである。

もっとも、今作にそういった時間的余裕は無かった。約60分という時間は本作でやりたかったことに対して圧倒的に短かったように感じる。新キャラクター・ゴーダも魅力を感じさせるものだったが、「火野映司の欲望から生まれたグリード」として、もっと掘り下げることができたのではないかと思ってしまう。「なぜアンクが復活したのか?」「なぜ800年前の王が復活したか?」といった根幹に関わる疑問に対しても、十分な説明が用意されていたようには感じなかった。タジャドルエタニティの活躍は非常に魅力を持って描かれていた一方、バースXや復活したグリードたちは不完全燃焼の印象を受ける。要素を詰め込みすぎだったのではないかというのが率直な感想ではある。

総じて、仮面ライダーオーズという物語を着地させるのに、非常に難しい着地点を選んだのが『オーズ10th』という作品だった。しかしながら、とにかく尺が足りなかったために、我々はその全容を理解することが非常に困難になってしまった。本編に捧げられたオマージュや新フォームの活躍など、魅力ある場面は多くあっただけに、そのような不完全燃焼感が色濃く残ってしまう。願わくば、小説などの形で本作が補完されてほしいと思う。

 

P.S. フォーゼ10周年映画やれ!!!!!!!!